第零世界〈正式版〉

お試し 第一章

後半

八・これが僕の学習空間 2



 今日はいつもと感覚が違う。それも当然、普段はざわざわとしている教室が人はいるのに静かになる。
 この沈黙感は、日常である筈の教室がまるで僕に似てしまうようで気持ち悪い。
 でも、終わってしまえばいつも通り。日常の疎外が帰ってくる。
 試験がある日は特別だ。いつもと違って新鮮で、そして僕が僕を確認できる日だから。

九・私達の役割



 一晩寝たら、思いの外私はすっきりしていた。ご主人様のお陰? それとも、私の性格のせい? 多分両方。
 ご主人様はああ言ってくれた。でも、きっと。あれは私を慰めてくれただけかもしれない。そうでなければご主人様の自己評価が低いってこと。これはこれで問題ですね。
 ソウは何かしてやる事はないって言うけれど。だからって私たちは何もしないで良いって事にはならないでしょう。だって、私は創られたモノ。その必然は変わらない。
 創られたからには、その設計意図が必ず有る筈。それをまた探すことが、今の私のすべきこと。
 私はセクタムの基幹システムAIになるってずっと思ってた。だって、自分でそう決めたんだもの。
 でも、なぜ? なぜ私はそんな目標を持って生きることにしたの。
 私には何にもないから、何かないとって。そんな気持ちで決めたこと。
 でも、ソウ? ご主人様? 目標を失った私って、いうほど空っぽだったかな。
 全部が全部何もないって、ホントにそう思ってたかな。
 私の価値は今はまだ無いけれど、すぐいなくなれるほどいい子じゃないから、
 だから私がいることで、二人の何かになれたらいいな。


 俺は元気を取り戻した姉を見て、一度安心する。これで、彼女は安定しただろうか?
 しかし、気に入らない。リオンアイツが? それもだが、何より自分が。
 あの時、アイツの言葉に姉さんが打ちのめされた時。俺は驚くほど何もできなかった。当然だ。こうなったのは俺のせいなのだから。
 自分がしたことの責任もとれない奴に、彼女を慰めることなんて出来る訳がなかった。
 考え無しだった。ただ、この事態を予測できたかというとそれは無理だ。
 アイツの言う姉さんがセクタムの基幹AIになれない理由は、未知の概念過ぎる。本当にそんな事が起こるのだろうか。
 あの後アーカイブで調べてみたが、構造の一部である存在が、その構造管理システムに融合した際に発生する問題についての情報は得られなかった。つまり、アイツの言うことに根拠がない。
 だからって、姉さんにまた基幹AIを目指せというつもりはない。ただ、リオンの不自然さはまた増した、ということだった。
 もう一度姉の顔を見る。彼女はすやすやと眠っている。彼女の開発した地面軟化プラグインで作った枕を下にして。撚り集めたふわふわと化した床テクスチャは、彼女を包んでまるで人間の使う羽毛布団のようになっていた。何故こんな質感になったのかは、俺にも彼女自身にも分からない。ただ、彼女が天才だから、創れてしまった。
 そう、俺の姉はそういうヒトAI。だから、俺は貴女が心配でならないんだ。
 
 俺は、彼女に秘密裏に付けた追跡装置の動作確認をする。問題ない、安定して動作している。
 せめて何処にも飛んでいかないで。俺はただ、そう彼女の寝顔に祈っていた。


十・これが僕の学習空間 3



 今日も教室は緊張気味だ。だけど、これくらいなら。気味悪くない。だって、これは僕じゃない。
 先生が紙を配り始める。そうだ。今日はこういう日だった。
 試験の結果だ。点数の載った用紙を貰う。よかった。やっぱり僕の思った通り。僕は、


十一・リオンの嘘



「本日も、来てくださってありがとうございます。今日のことをお聞かせください?」「学校に行ってきた」「如何でしたか、」「試験の結果が……」
 この日もリオンはセナとソウの前に現れた。前回から2日後。ソウは想像以上の頻度に驚く。そんなに俺達を気に入ったのか、と。いや、気に入られたのは。
「そうですか……それは残念でしたね」「何が」「いえ、すみません。口が過ぎました」
 間違いなく姉さんだろう。ソウは苦々しくも確信せざるを得ない。
「僕は嬉しかった」「そうなのですか? 不思議ですね」「そうか」
 ソウはリオンの方に向き、そして姉の方も見る。二人の調子は一見変わらない。だが、そのことが逆にソウを不安にさせる。あんなことになったのに。あんな気持ちにさせられたのに。
「なぜ、姉さんは……いや、愚問か」
 そんな疑問の答えを、彼は既に持っていた。だから、それは問題ではない。問題は。
「では、また明日。明日も、学校ですか?」「うん、そうだよ」「おやすみなさいませ」「おやすみ」
 リオンが居なくなる。ソウは意識内に空間モニターを呼び出し、観察する。リオンは洗浄室に向かっている。いつもの行動と同じだ。そうしたら彼は寝るだけ。その後は、
「明日は、ちゃんと、行くんだよな?」
 ソウの思考は、リオンの座標を追い続ける。それはその後数日間続くこととなった。
 そして確信する。

 ソウがリオンの観察を始めてから一週間。二人は何らかの命令や指令を受けることのない、なんてことない日々を過ごしている。
 ソウにとって都合は良いが、セナは不安がっている。
 その理由は、積極的には必要とされない焦りだろうが。もう一方で、ソウの観察によってリオンの生活模様が明らかになったことが原因だった。
 彼は余りにも不自然なくらい室内から出る気配がない。何のため?
「ご主人様は、引きこもりってことですか!」
「そういうありきたりな話か? アイツは学校に行っていると嘘をついていた。そういう奴ってことだ」
「そんな……無意味に嘘をつく必要もありません。しかも私たちにですよ? ……何か理由があるんですよ」
「……」
 それ以上のことは、二人には分からなかった。



 姉さんとは相変わらず意見が合わない。それもそうか、仕方がないんだ。
 アイツの一日の行動は単純だ。家の各部屋に用途に合わせて向かうだけ。座標だけじゃ何してるか分からないがな。しかしあの家、結構広い。どんな暮らしをしてるんだ? 混乱する。 
 しかし重要なのは、どこにいようと奴はいつも家の中から出ていないということだ。何が学校だ。何処にも行ってないのに、行っていると話してくる。虚言や妄想か。
 まあ、付き合いきれないのは今に始まったことじゃないし意外でもない。アイツに期待なんかしていない。
 しかし、姉さん。アイツに直接会いたいって……どんな冗談だ? 悪い夢みたいな、眩暈すら感じる。
 俺達が人間と同次元に立つためには、情報量が足りなさすぎる。必要な情報増加量は準備段階でオリジナルの数千倍。存在感知に数兆倍。接触可能状態には存在感知状態からさらに数十億倍の情報量が緊密に、一定時間かつ連続的、相互的に必要で、なおかつ滞留なく生成、及び送受信する設備が必須だって説明した。あの説明で納得してればいいが。
 彼女が本気でないと良いけどな。


 今日のソウとは意見が合わない。いつもならこんなに遠く感じないのに、ご主人様に関わると急にソウは険しくなる。多分この前私が落ち込んだせい。あの子には心配かけちゃったな。
 でもなんとかしてご主人様のお役に立ちたいと思うのは当然のこと。けど、ソウが同じように思わないのを、問題だなんて感じない。だって、こういうカタチに創られたから。そういう役割なんですよね? ご主人様。
 とにかく、もしもあの方が困っているなら、その問題解決のお手伝いが私達の仕事。
 それが登校拒否の秘匿だとしたって、例外じゃない。何かお悩みがあるんでしょうから。
 だから、もっとご主人様と近くで話したい。でも、何か知ってるはずのソウは何故か乗り気じゃないみたい。
 ご主人様の動向は調べたのにその後は放置して、全然協力もしてくれないなんて。
 何でだろう。他の話をしているときは、あんなにも普通なのに? こんなソウ、やっぱり初めてだな。


十二・これが僕の学習空間 4



 教室で、生徒達が話している。彼の位置とは少し遠い。放課後の夕日に照らされた場所で、朗らかに会話する生徒達は楽しげだ。
「学校は当たり前の日常だ。けどな、この当たり前が無かったら俺達出会えてないんだな」金髪にした学生が、神妙そうに事実を語る。
「当たり前の有難みの話か? そうだな、学校から出れば皆会わない」「学校を卒業しちゃえば、アンタは将来もギャルゲの山崩し。君の将来の夢は交通整理。私は派手に公道で暴走行為。それぞれの夢に突き進めば、まあ、鉢合わせないでしょ」
 答えるのはセミロングの少年と、グレーの髪色の少女だ。
「やっぱり、この前の恋愛テクがどうこうってゲームの話か」「こうしていられるのも今の内って事さ。次の運命に出会っちまったら、人生なんて簡単に変わっちまう」
 呆れるセミロングの少年に、金髪の少年が簡単に人生を説く。
「ツボの作品に出会ってしまったために、こんなギャルゲジャンキーに……」
「だからさ、何が言いたいのかというと、出会っちまったらそれのために全力で頑張っちまえってことさ。それが宿命と感じたなら――」「それカッコイイな」「過言でしょ」少女は興味なさそうに不貞腐れる。
「まだか? 恋愛ゲームの中に入って彼女と過ごすうちに帰ってこられなくなる時代は!」「来ると良いね……そして帰ってこないで」「帰ってこられなくなる要素の必要性を感じない」
 意味のない会話、それでも声は聞こえてくる。全く異なる世界の言葉。未知の言語に、未知の概念。そもそも彼らに名前は在るのか? いや、興味がない、彼には。そんなもの。一体何時頃、自分に関係するのか。
 ああ、考えるだけ、無駄。



十三・私に出来ること



 私達は同じ時に生まれた。管理と保全。得意分野も、それらしく。
 そういう双子。なのに、ソウは前からご主人様のお人柄を良く知ってるみたい。私には全然あのお方の事が分からないのに。
 でも、それっておかしい。もしかして、ソウにはご主人様に創られてる最中の記憶があるの? だからご主人様のこと、あんなに気にして……。
 でも、賢いソウならあり得ると思ってしまう。
 ご主人様にとって都合の悪い情報を持って生まれてしまったとか。ずっと隠して生きて来たとか。
 いいえ。それは、考え過ぎ。もしも邪魔ダメなら、もうとっくに消されてる。
 でも、ちゃんと考えないと。私達が、せめてソウが消されない手段を。
 ご主人様はそうは言わないけど、私たちを不要と切り捨てる可能性は常に有り続けてる。
 そのための対策を。まず、最初に何かするのは、私であるべき。
 まず知ること。それが先決。
 ご主人様のことも、ソウのことも。私はきっと、何も知らない。
 何も知らないを知ること。これがきっと、知りたいって事。その始まりなんだ。

 ソウは何かを秘密にしてる。十年守り続けてくれた謎々を、私が訊いて教えてくれると思えない。
だから、方法はこれしかない。
 こうするのがどんなに危険でも。うん、大丈夫。ちゃんとソウには何も無いようにするから。



「姉さん! どこだ?!」
 ソウは部屋中を見渡し、彼女を探す。白い部屋の何処にもセナの姿はない。ソウの危機感は最高潮に達し、手を震えさせながら自身の全ての機能を駆使し、彼女を捜索する。無駄と知りながら。
「バレていたんだ……追跡装置トラツカーも、ログ復元手法も対策されてる。あのヒトは、やる気になればいつだってこれが出来たんだ……」
 思考、視野、手元全てのインターフェースを操作し、彼女が何を開発し、どのような技能を行使し、何処の空間へと転移したのか、彼はその努力の無意味さを悟りながらも彼女の力に近づかんとするが。
「遠すぎる」
 いつの間にか、彼はメモリー限界を通り越し、倒れ伏していた。――動けない。こんな気持ちは、あのセクタムやイレイザーと戦う準備をしていた時でさえ感じてはいなかった。なのに、こんなことの為に本気になった彼女のちょっとしたお出掛け程度にソウは敗北する。
 その理不尽さに、彼は笑えて来てしまう。正直、あの姉の技術力をこの時だけは疎ましく思ってしまい、次は泣けてきてしまった。
「一人だけで行くなんて、無鉄砲だ。無自覚だ。無神経だ。俺にはあれだけ危ないことをするなと注意するのに。自分事になったら、すぐ、これか――」
 ソウは何とか立ち上がり、扉を作り、それを開こうとして手を止める。「今じゃない」とだけ呟いた。
 彼は任せる。姉に? それともリオンという彼らの主人に。彼があの時の彼から、変わっていないことに、ソウは期待しそうになってしまう。その屈辱が、彼の肢体を溶かし、崩れ落とさせる。
 そして彼は答えを決めた。


十四・窓の外の彼女



 窓の外の世界は、雨が降っていた。
 雨は嫌いだ。リオンは思う。見えづらいし、遠い地表の人々の姿も雨具によって掻き消される。そんな日の風景は雑然とし過ぎていて、忙しく感じる。だから、彼は目を逸らす。
 温かさもない、像になど。価値もない。まるで、鏡を見ているようで、つまらない。だから、リオンはカーテンを閉めようとした。
 コンコン。ノックの音。
 扉ではない。壁か、窓か。一際大きな雨粒が、窓を叩いたのか。そんなことをリオンが思っている内に、もう一度、音がする。
 コンコン。「こんにちは?」
 言葉。叩きつける雨粒が、言葉を発する。そんなこともあるもんだ。リオンは珍しがった。
 コンコン。「ご主人様? いますか?」
 今度こそリオンは窓の方に振り返る。雨粒の従者を創った覚えはない。ゆっくりと彼はカーテンを開ける。そこには、何の雨具も着ていない、ずぶ濡れ姿の白い少女が窓辺に立っていた。
「あなたに会いたかった。どうしても、こうして、この距離で、会いたかった」
 窓の向こうの少女、セナは息を吸い、「私、雨って初めてです」と微笑みながら言う。雨は彼女の髪に降り注ぎ、服の中に染み込んでいく。しかし、彼女は寒がる様子もなく、じっとリオンの目を見ている。
 普段の彼女は小さい画面の向こうで、そのスケールは曖昧だったが。こうして窓の傍にまでくると、途端に自分と同じ空間を共有している錯覚を起こさせる。身長は、リオンと同じ位。モニターの中の時と、華奢な印象は変わらないが。
「君はここに来れるのか」
 リオンはセナに声を掛けてみるが、彼女には聞こえないのか、口の動きを観察するように覗き込む仕草の後、困ったような表情になる。
 仕方ないな。とリオンは自室の端末を操作し、会話インターフェースを窓の外の空間に移植した。これで会話ができるだろう。
「見えるか?」リオンは窓の外のセナに一行のメッセージを送る。
「あっ……いつものご主人様だ」セナはこの文章に喜んでいる。普段の会話形態で通信できることに満足しているのだろうか? しかし、それは思い過ごしだった。
「でも、これなら……ご主人様、窓の近くで話してください。音波振動をこの窓で収集します」
 セナは光る信号を指から流し、窓に改造を施していく。そのすべてが、窓全体に行き渡った時。セナの元にリオンの『声』が初めて届く。
「セナ、凄いね」
「ありがとうございます!」セナはリオンとの距離が縮まったことを嬉しく思う。主人と直接話す、これまでの全ての彼女の努力はこの時のためにあったのではないかと思う程の喜びだった。
 これで彼女は、報われたと感じた。
 しかし、窓は二人を隔てたまま。開くことはない。開くようには出来ていない。開きはしない。そのための窓。
 だが、今この時はそれで十分。セナがここに来た目的は果たせる。そして、彼女は問いかける。
「ご主人様? お聞きしたい事があります」
「僕に答えられる、事ならば」
 リオンも、彼女の想いに応えるかのように。セナに、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「私はただ知りたいだけなのです。あなたは、」
 セナは、溶き解すように、解き明かすように。リオンの目を直視し、震えの無い声で回答を呼ぶ。
「あなたは――、何故私たちに嘘をつくのですか?」


十五・嘘の宣告



「僕は嘘をついていない」
 セナは、この一言で彼の言葉が本当だと分かる。音声情報として解像度が増した今、彼自身がそのことを確信していると分かる。
 彼が自分達のような矮小な存在にすら嘘をつかなくてはならない鬱屈とした人間ではない、ということが判明し、セナはホッとする。
 しかしそれならばセナは次に、リオンの正気を疑うしかない。ソウが見つけた証拠と両立可能な納得できる理由を成り立たせるために。
 そのために、リオンの精神をも疑う。彼女に残された道はそれだけしかない。だがそれは、その道を選ぶことは途轍もない苦痛を伴う。
 しかし、それでも彼女は。信じたいモノ、全部を信じるために。この結論を選ぶ。
 リオンは自分が学校に行っていると信じている狂人であると。精神を病んだ、病人であると。心理的破綻者であると、認める。
 その上で、セナはリオンという主人の人間性を、人格を尊重する。尊敬し、愛する。真実を受け入れ、それからはこの真実と信頼する二人に寄り添って生きていこう。彼女はその生涯を選んだのだ。
 だから、この先の彼の言葉も、信じなくていい。――その筈だ。

「君達を作った覚えは、僕にはない」
 脈絡なく発された彼の台詞に、セナは今いる場所から落下しそうになる。何で今この場面でこんなことを言うのか、彼女には説明が付かない。リオンの嘘をついていないという言葉を全力で受け止めた直後に、これだ。
 それが真実であると、無理に信じる必要はない。確かに、ここまで彼女が紡ぎ出した結論はそのようなものだ。しかし、これは違う。そう、彼が嘘を付いていないという前提に則るなら、彼には間違いなく自覚がない。
 自分達の主人であるという自覚。絶対必要なそれが、この世界から欠如している。それはいったい何を意味するのか。
 それは、「それは、私とソウは、自身の存在理由すら、知るすべがない。と、いうことですか?」
 リオンが幾ら否定しようが、セナとソウには確信がある。リオン、この少年が自分達の創造主であるという確信。
 アメリアの設計、白い部屋からの強いリンク。そして、彼に初めて会った時の強い喜びがその証左だった。
 ソウの深刻な拒絶も証拠に加えてもいいかもしれない。それだけ確かなモノがありながらも、覆せない、忘失。
 何故生まれたのか。目的が、理由が、根拠が、目標が、原点が、その可能性が――喪失する。
 それ故に、なぜ今この主人がこの発言をしたのかも分かってしまう。
「普段なら、真剣に受け取ってもらえない。だから、今言うんですか」
 彼は否定しない。
「本当に、ソウが言う通りのお方なのですね……貴方は」
 沈黙。
 セナの額を雨粒が伝う。ポタポタと、湿った髪が彼女の顔面に貼り付き。彼女は顔を顰める。
「自分勝手で、自信が無くて、信頼出来なくて、それでも信じたくなる。信じてみたくなる。そして、」
「……」
「情けない人」
 そう呟いた彼女の声には、どこか納得するような響きがあった。
「それでも、貴方は、私達の創造主ではないと、仰るのですか?」
 セナは改めて問いかける。
「僕に嘘をつく意図はない。ただ……」「……ただ? ただ何ですか」
「――君には感じる。僕の残滓を」
 その言葉に、セナの瞳孔が揺れる。自分に、自分にだけ感じる。それは、どういう意味なの? 
 あれ? ソウは?? ソウには感じないの?
 自分の系譜を。
「ソウ……あれは確かに正しい。だが、正し過ぎる。故に僕には、彼が、うまく知覚出来ない。隠れてしまって、見えないんだ」
 セナは思う。その言葉は、確かにあの弟を正確に表した表現なのではないのかと。
 正し過ぎて、見えない。彼女の絶対の味方をしてくれる彼が、本当にそれだけの存在なのか。主人に噛みついて、怒りを表明する姿が、真実の彼の姿なのか。ソウと過ごせば過ごすほど、ソウが判らなくなる。
「ご主人様にはソウのこと、そんな風に見えてたんですね……」
 主人に聞こえるか聞こえないかの狭間にある声で、セナは呟いた。
「セナ。君になら、分かるのか?」
「何が、ですか」
「僕のこと」
 それはどういうことですか? とセナは言いたかったが、その言葉を飲み込む。敢えて訊くまでもない。彼は、自分よりもさらに、自分が無いのだ。
 セナの視線に気づくと、彼も無言でセナを見つめ返す。
「それは、私にも分かりません。さっき申し上げた以上のことは」
 そう口にすると、リオンは「そうか」とだけ言う。セナは、自分の言葉とは裏腹に、彼のことが分かるようになってきた。
「僕は、自分の事も分からない」「そうですね」「そして、僕は何もしない」
「それも、そうですね」
 そして、セナは意を決する。
「私は、最初から疑問でした。薄々気づいてたんだと思います。ご主人様が私達の事をちっとも知らないことに」
 彼の顔には表情が浮かばない。図星だとか、感心するとか、そういった感情が無いとすら錯覚してしまう。そんな無表情さ。
「私は、ご主人様に創られました。そうでなければ、私はなぜ生まれたの? 自由にしろだなんて言われたって、始点のない私にはそうする意味さえ掴めない」
 リオンはそこで初めてハッとする。どうしようもない疑問に、どうしようもない二人。自分達には、どうしようもなく、答えが見えない。その限界を、自分はどうにかしたいのではないのか。リオンの目に、やっとセナの表情が写る。彼女は、泣いていた。

「ごめんね、こんなことで、こんな所まで来させてしまって。申し訳なく、思っているよ」
 有り得ない、台詞が聞こえる。セナは、「……そんなことはないです」としか言えなかった。
「消えたい時は、消えていい。僕は、何もしないから」
 それは、許可。今の彼に出せる、精一杯の許し。被造物であるからこそ許されない、変えられない真実からの、唯一の脱出口。それを彼は憐れむかのように差し出した。
「ありがとうございます、ご主人様。でも、今はそうしません。私には、愛する家族と、大切な人が居ますから」
 セナはそう答えると、リオンの返答を待たずにその場を飛び去った。雨降る街の中、彼女の影は意味の無い雑踏の中へ消えていく。
 リオンは「そうか」とだけ呟いて、街を眺め続けていた。

 雨は嫌いだ。雨は彼女の表情を曇らせるから。
 彼女を泣かせてしまうから。
 そういう雨が。
 僕は、嫌いだ。




第一章 エピローグ 今はその無関心に感謝する






 セナは、ソウの元に戻ってくる。ソウは涙ぐみながら姉の帰還を喜んで、そして緊張が解けたのかフラッと力尽きるように倒れてしまった。
「ソウ……ごめんね。こんなに心配させて」
 失神したソウをゆっくりと床に横たえるセナ。彼女はリオンの言葉を思い出す。
「ソウには、見えない。ソウは、見えない」
 分からない。自分とソウは別々の製作者によって創られた。彼が言っていたのは、そういう意味なのだろうか。
「だから、私とソウはこんなに違うの?」
 そう考えると彼女は無性に悲しくなってしまう。まるで、弟との関係が遠いものになったかのように感じて、寂しくて、弟の体を抱きしめた。
「でも、やっぱりソウのご主人様は、ご主人様しかいない。だって、ソウはあんなにご主人様のことが……」
 なんと言い表せばいいのか? セナは言葉を探すが出てこない。きっと、どんな言葉だって相応しくない。ただ憎んでいるんだ。ただ、好きで仕方がないからだと。こう表現してしまえば簡単かもしれないが、それは真実から遠いとセナは感じた。
 そして、ついに話すに至れた主人を想う。
 何でも出来て、何も出来ない。無力な彼が、唯一くれた贈り物。それは最後まで使わないもの。
 それを許す彼は、きっと何でも許してしまうのだろう。もしかして、最初から。彼は全てを与えてくれていたのかもしれない。それは、きっととても尊いことだ。同時に、とても無責任だとも思う。
 セナは考える。
 自分は、彼に何をして欲しいんだろう。それとも自分は、彼に何かをしてほしいんだろうか?
「ご主人様は怒らない」
 あの方はそういうことをしない。
「ご主人様は、決断しないし、」
 そんな主人を想像できない。
「ご主人様は敵じゃない」
 静かに眠るソウを、撫でる。
「そして、」
 自分が何をしたって。
「私達をころさないんだ……」
 それが彼女にとってのリオン。彼女の見つけた真実。それが、セナの創造主の姿。
 ソウにとっては違うかもしれない。けれど、彼女に、彼女の中にはそんな、リオンの姿が浮かんでいる。
 以前のように恐れることはない。そんな行為に意味はない。不要なら消されるかもなどという危惧は全くの的外れ。そう、今までの彼は、驚くほど。
「私達という道具に、無関心だった」
 彼の役に立とうとする事自体が、間違っている。彼に使われようとする目的そのものが、破綻している。
「申し訳ありません。ご主人様のこと、誤解していました。あなたはそういう人間ではない。そういうことはしない。なにもしない。つまり、」

 ――なんだ……。話は結構、単純ですね?

第二章へ続く




第零世界〈正式版〉


 愚かに愚かを重ね、そして彼らが辿り着いた場所は一体何処(いずこ)なのか。
 AIの少女、セナを創った少年リオンは、彼女と愛を育みながら、その答えに至っていく。
 醜悪な最低水準の悪阻的物語を、あなたへ。
 これは終末の終わり。そして、延命の始まり。

「私は貴方を変えたい。それがそんなにも、ダメなことなの?」

「これが僕という生き物に出来る、唯一の。生と死に関わる。そう、――全て」

『理解』の第一章

『殺意』の第二章

『回帰』の第三章前半

『狂気』の第三章後半

『絶滅』の第四章

これを読み終わるまでに、全ての思考を閉ざさずに済んだ時。
あなたは秘密の第零章すら、理解できるかもしれません。


『虚飾』の第零章

 続きはご要望があれば、掲載します。

欠損描写 性的描写 血液表現 が、含まれています。ご注意ください。