A Gloomy Part-Time Lord "X1" of a Rental Apartment Building
或る兼業大家"X1"の憂鬱
エピソード1
プロローグ
兼業大家のX1は、失敗した賃貸経営に挫折していた。
素人の考えた浅はかな計画など、何かの単純なボタンの掛け違いでこうも簡単に破綻する。
X1と名乗る男はそう自身の経営を顧みるが、それでもどこが反省すべき点なのかの焦点が定まらない。
安定した不労所得の計画は、既に現実的ではなく。仲介会社乙の担当営業マンであるY1を責めたって、どうしようもないのだ。
誰かが悪意を持っていたとしても、結局は自己責任。世界は、そう回っているのだから。
X1は、自身の『傲慢』の責任を取らなければならない。
生きているのだから、何かをしようとしていたのだから。まだ、彼は死んでいないのだから。
逃げるのならば、出来るのならば。
「もう、終わりたい」
X1の胸の中には、そう、願ってしまう自分がいた。
空虚で空白だらけの彼の人生が、これで終わる。それでも、それでも良かったのだが。
誰かが、彼の胸倉を掴んで離さない。誰かが、彼の頬を殴り続けて、気を失わせない。
そんな幻肢痛に、彼は死ぬ気力すら、奪われる。
最悪の存在。怠惰で、憂鬱な彼には、似合いの生き地獄。
そんな人生でも、死ねないのなら、死ぬことすら許されないのなら。彼は、その狭間を生きる。
死体と生体、その狭間。悲しき、暗がりの走馬灯を。
これは、彼が許されない物語。そして、即座に尽きる、時間の話。
戻らない彼の終末時計が、また一度、音を奏でるのだから。
エピソード1 仲介会社 乙社Y1は完璧すぎる
高い税金や低い給料に苦しむ人々は、自分の夢や目標を追い求めるために、不動産賃貸に目を向けていた。
しかし、不動産投資は簡単なものではなく、管理や運営に手間や費用がかかり、空室や入居者トラブルに対処しなければならない。
そんな中、兼業大家という人々が現れた。
兼業大家は、不動産賃貸業以外の仕事を持っていて、家賃以外の収入も得ている。
彼らは、不動産賃貸で収入を増やし、節税効果を得るとともに、老後の資産形成にもなると考えた。
しかし、兼業大家になり、それを続けることは容易ではなく、市場や法律の変化に対応しなければならない。
そこで、兼業大家は互いに協力し合い、情報やノウハウを共有するネットワークを作った。
果たして、兼業大家X1は日本の東京某所で成功することができるのだろうか?
現在は2002年2月14日の木曜日。
大欠伸をしながら、X1は家賃収入の確認と入力の終わったラップトップPCの前にいる。
そろそろ風呂、という時間に差し掛かるも。彼は今しがた入力したデータシートを満足げに眺めていた。
名称X1と呼ばれる彼は文系大学を卒業し、理想の賃貸物件を建設。そしてその物件の経営に励んでいた。
東京都23区内の内周7区内の普通住居地域にある地上四階建ての物件を、彼は甲と名付けた。
文系大学を卒業したが就職に失敗したX1だったが、父親からネグレクトを受けた実家を頼る発想はあり得ない。
よって、派遣のアフターマン業務と老後のための賃貸物件を組み合わせて収入を得ることにした。
毎月X2という地主に地代30万円を納めるのは、きつくも感じていたが。
それでも彼は、賃貸経営の実際の雰囲気を味わい、知識だけでは味わえないリアルなスリルを楽しんでいた。
そんな考え方が出来るのも、不動産仲介会社乙――延いては『彼』のお陰だった。
仲介会社は物件の調査や広告、契約書の作成、手続きなどを代行し、X1は本業に集中することができる。
自分の選択の責任を明確に取ることにはなる事業選択を不安に感じることもあったが、それでも彼は賃貸経営が相対的に楽勝だとも感じていた。
今日は、以前空き室になった部屋の相談で、仲介会社乙の営業マンY1が来る予定だ。
彼は以前、部屋を異臭立ち上るゴミ屋敷にしてしまった、前の変人夫婦を部屋から追い出してくれたのだ。
その住民は彼が賃貸経営始た時の最初の住人であり、前の担当者にも手に負えないほどの問題を引き起こした、彼にとっての初の大問題だった。
その時Y1さんには大変お世話になり、感謝の念が絶えず。今日の相談に関しても彼は頭が上がらない。
彼は、今日の相談も実質的には営業マンY1さんを崇める会になるだろうと思っていた。
涼やかな冬の気配が残る二月の陽気と共に、X1はY1の来訪を心待ちにしていた。
魔法のような手腕で、面倒な事態を解決してくれるY1さん。彼の印象的な金髪は地毛なのだろうか。
そんなことを考えていると、予定通りの時間にインターホンの呼び鈴が鳴った。
「こんにちは、X1様。本日もお元気そうで何よりです」
X1が部屋に招き入れると、Y1は透き通るような笑顔でそう挨拶してくれた。今日もその爽やかイケメンは健在だ。
「会うのは久しぶりですね。でもやっぱりY1さんに、『様』だなんて付けられると何か変ですよ。恥ずかしいです……」
そうX1が言うと、Y1は微笑んで。
「ふふっ、そうでしたね。『さん』付けで良いとのご要望でした。済みません、癖でして。以後、気を付けます」
照れくさそうに、口元を隠してコロコロ笑うものだから。
「そんな、そんな……」
初めて会った時も、この男性の丁寧で親しみやすい雰囲気に負けたものだった。
思い出せば、懐かしい。若干二年と半年前。郷愁に数える程の時間も経っていないその思い出は当然鮮やかだ。
まだ甲物件も建設中の頃。X1は売買を仲介してくれた会社とは別に、サービスの良い仲介会社を探していた。
賃貸経営に強い、仲介会社をだ。
そんな折に出会った彼。仲介会社乙のオフィス内で机を挟んだ彼の印象は最初からよかった。
そう、彼の最初の一言は、こう始まったのだった――。
「こんにちは。本日はご多忙の中、お時間頂きまして誠にありがとうございます。私、乙不動産のY1と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ、……よろしくお願いいたします。私はX1と言います。『甲物件』の大家です……」
初めて会った時、彼はこう言って名刺を差し出してきた。
名刺には、彼の名前、連絡先、オフィス住所、電話番号の他に、所属部署、役職、メールアドレスが書かれている。
そして、肩書き欄には、『営業担当』と書かれていた。
笑顔が印象的な彼は、X1をじっと見つめていた。これがプロの営業テクニックか、とX1は思う。
「あの……そんなに見られると、緊張してしまいますよ」
Y1の目を見ていたのは、X1も同じようだ。
「Y1さんこそ……」とX1が返すと、彼は意外そうに驚き、
「すみません……その、お優しそうなお顔、というか雰囲気をされていて安心してしまって……」と言う。
これが御婦人方相手の営業なら威力抜群だろうし、X1は自分にも効いたと思った。
「あはは、そうですか? 照れますね」と素直にお礼を言うX1。
彼に対する第一印象は、お客との距離を詰めるのが上手い営業マンだなというものだった。
雑談も終わり、Y1はサービスの説明に入った。
「当社では、オーナー様に代わって、管理業務を代行させていただいております。例えば、家賃回収や滞納者の対応、その他様々なトラブルの対応などですね。また、清掃業務なども行っております。もちろん別オプションではありますが」
当時、彼の話を聞いてX1は少し不安になったのを覚えている。
確かに、この会社は最近業績を伸ばしていて、X1もよく名前を聞くようになった。
しかし、乙はただの街の仲介会社だ。サービスの種類が多すぎて質の問題は無いのかと疑問があった。
それに、X1が知りたかったのは、そういうことではなかった。
彼はY1の話を遮り、率直に自分が問いたいことを伝えた。
「いや、違うんです。私の聞きたかったことはそうではなくて、貴方から見てもこの賃貸経営計画は儲かるのか? ということなのです」
すると、Y1は笑みを浮かべながら答えた。「不安なのですね。でも、それは大丈夫ですよ。この業界は不況知らずですから。まあ、多少の上下はあれど、少なくともここ数年は右肩上がりでしょうね」
それを聞いたX1はホッとした。彼が知りたかったのはまさにこれなのだ。
「そうですか! それは良かった。実は、今日の相談というのはですね。私も賃貸経営をやりたくて、上物がそろそろ建ちそうなのでそろそろ実際の運営について詳しく考えなければと。それで、今日は色々教えてもらおうと思いました」とX1が言う。
「なるほど。そうでしたか」とY1は快く了承した。
彼は、本当に親切に、X1の話を聞いてくれた。
そして、前に起こったゴミ屋敷事件の時も彼は親身になってX1を助けてくれた。
その縁で、彼、Y1はX1の正式な担当となった。
だからX1は彼を信頼していた。だが、それは決して彼の美貌がそうさせるものではないと。
X1は自分に強く念じていた。
「どうなさいましたか?」
Y1の声でX1の意識は現在に引き戻される。Y1が心配そうな声で、彼に問いかけてきていた。
「あ、いえ、なんでもありません。続けて下さい」
「はい。わかりました。それで、このリフォーム構成でお決めになりますか?」
X1は頷いて、「ああ、それでいいです。で、何か進展ありました?」と尋ねる。
営業マンY1は驚いたような表情になり。
「え? どういうことでしょう? 進展とは一体……ああ、そういうことですね。では、初めからお話ししましょう。それがですね……」
X1は彼の話を聞いていたつもりが、どうやら聞き流してしまったようだった。
「あのお部屋、まだ、誰も住んでいないですよね?」
彼が言うのは、二人にとって馴染み深い『あの部屋』。最初の住人が住んでいて、ゴミ屋敷化したあの308号室だ。
しかし、既に清掃と基本的なフローリングや壁紙の張替えは済んでおり。既に客付けを行ってもらっていた筈だったが。
「ええ……、紹介を再開してから二ヶ月程でしたかね?」
「私が最近ご案内したお客様が、実はあのお部屋にそこはかとない違和感を感じていらっしゃっていて、ひょっとすると、あの最低限のリフォームではあの問題の影響が払拭できていないかもしれません」
「ええ?! ちゃんと綺麗になってて、俺は何も感じませんでしたが……」X1は驚いた。
「ですが、ご案内したお客様の奥さんが、無念の亡霊の気配がする! っておっしゃっていまして……。大量の子供の死者の想念を感じると。そうおっしゃるんですよね……」
「そんな馬鹿な!」X1は思わず怒りを露にして言った。
そこでY1は真剣な面持ちになり。
「はい。私も信じたくはないのですが、奥さんがあまりにも真剣におっしゃるので、信用できる神職の方に一応調べていただきました。そうしたら、やはり、纏う雰囲気が実質事故物件並みだったのです。おそらく前の居住者の方が医療関係者だったのが原因かと」
X1は驚きを隠せなかった。
「なっ!? 職場から連れてきたってことですか? 聞いたことありませんよ。そんなリスクがあるなんて……」
「はい。お気持ちは分かります。ですが、それはあくまで世間的な認知度の問題でして。まあ、この業界では外からでは分からないことがよくあるので、どうか、落ち着いて。幽霊も、怨念も、わかる人には、分かるんですよ」
動揺しながらも、自分がその部屋を見た時の事をX1は思い出す。
当時、前住民を追い出した直後の部屋はゴミは多けれど見た目の汚れこそ少なく、一見マシに見えたが。
その雰囲気は溢れんばかりの嗅覚の死を感じさせる異臭が鼻を突く、異常な空間だった。
だから、安くない費用を掛けてクリーニングをしたというのに。
でも、X1は確かにクリーニング後の部屋からは何も感じなかった。普通の部屋だと確認した。
すぐ後に、ちゃんと入居者も入った。
とは言えその人は更新無く出て行ってしまったが、そのこともあってX1は安心していた。
兎も角、ゴミ屋敷にした住民は当時あまり部屋に帰ってこなかったので、書類を見なければ、顔の覚えも怪しい人物だ。
それにX1は、その異臭の原因などを敢えて知りたくないと撥ね退けてきた。
そうでなければ、自分がお客様に後ろめたさを感じずに部屋を紹介できる気がしなかったからだ。
Y1は動揺するX1に再度言葉をかけた。
「方法はあります。私も、調べていただいた神職の方も、この意見で一致しました」
「具体的には?」
「この我が社最新鋭の『事故物件浄化特化幸せリフレッシュプロフェッショナルリフォームサービス』をご契約頂くのが最適解です」
と、Y1が資料を指さしながら答えた。
「凄い名前……それでどんな内容ですか?」
「このサービスはですね。本来は名前の通り事故物件向けなのですが。簡単に言えば、お部屋の中を徹底的にクリーニングさせて頂きます。その後、家具を風水的に最高の配置に変え、内装を神聖な紋様に整えます。そして、最後に通常はお越し頂けない、様々な宗教に属する高位の神官様にお祓いをしていただき終了です」
「なるほど……でも、高いんじゃないですか?」
とX1が心配そうに口にすると、Y1は特別キャンペーン中であることを教え、驚くほどの安価で提供していると説明した。
X1は安心した表情で、「おお! それは助かります。是非お願いします」と答えた。
「かしこまりました。では、まず、こちらの契約書にサインを」とY1が提案すると、X1は了承してサインをする。
そして、Y1は帰っていった。そこには彼が付けていたラベンダーの香水のかおりが残っていた。
「ああ……よかった……。やっぱりY1さんは頼りになるなぁ……」X1は安堵の声を漏らした。
しかし、後になって気づくことになる。この選択が、彼をどん底に突き落とすことになると。
X1は、Y1が帰った後、早速、彼の薦めてきたリフォーム業者に電話をしてみた。
すると、すぐに来てくれる日取りが決まった。
数日後、約束の時間になり、X1はリフォーム業者のZ1を迎え入れる。
「こんにちは。担当させて頂きます丙社のZ1です」とZ1が微笑みながら挨拶した。
Z1は背が高く、痩せ型で眼鏡をかけた優男風の男性だった。
歳は三十代後半くらいだろうか。
彼の第一印象は、見かけによらず腰の低い人だなという感じだ。
「ああ、あなたがZ1さんですか! お待ちしていました! どうぞ、こちらの部屋です」とX1が案内する。
「失礼致します」
X1は、Z1を問題の308号室へと案内した。
「本日はよろしくお願いします。おお、場所は良いですね角部屋で」
X1は、「ええ、家族向けの部屋です。では、さっそくいかがですか? その、乙不動産のY1さんからは、大変な状態の部屋だと言われたのですが……」とZ1に問うと。
「……ええ、分かりますね。凄まじい瘴気です……」
彼は綺麗に短く整えられた口髭を撫でながら、雰囲気たっぷりに周囲を見渡す。
「あの、リフォームで治るのでしょうか……?」
何度も言われると、そんな気もしてくる。この部屋には子供の霊が居るのかも知れない。そう思わざるを得ない。
「ええ、勿論です。例のメニューで、お部屋全体を丸ごとリフォームする。で宜しいですよね?」
「はい……それでお願いしたいです。あ、一応、部屋の写真撮っておきますね」
と言いながら、X1は部屋の写真を撮る。
Z1は、「そうですね。その方がリフォームの出来栄えが分かりやすいですよね」と答えながら「ではこちらの工程表をお渡ししておきます。これの、この日から作業を始められそうです」と、ファイル入りの表を手渡してくる。
「安心してください。すぐ、キレイになりますよ」
「ええ、本当にお願いします……もう、本当に、怖くて……」
「ああ、可哀想に……。今日は、このお守りを握って眠ってくださいね?これが、あなたを不安から守ってくれます……」
Z1は神妙な表情になり、X1にお守りを差し出す。
「へ? い、いや、こんなしっかりしたもの、頂けませんて!」
X1は遠慮したが、Z1は「いいんです、いいんです。どうぞお受け取りください」と言って、X1に手渡した。
「いえいえ、これも何かの縁です。これは私の気持ちです。もちろん無料で差し上げますよ。代わりに、ちゃんとリフォーム代は払ってくださいね」とZ1は、ニコッと笑った。
「あ、あ、ありがとうございます。でも、私にも効くでしょうか……その、あまり信心深い方ではないので……」
どんなに由緒正しい『護符』でも、所詮は木片や紙で作られた植物の加工品に過ぎない。
しかし、そんなX1の気持ちを本心から労わるかのように。Z1は手の中のお守りごと、X1の手を掌で包み込んだ。
「意味が有るかどうかは、信じる事ではなく、そこに『在る』と知ること。この『物体』はそこに在ると分かりやすくする為の道具です。だから、X1さん。貴方は何も考えず、このお守りを持っていればいい」
X1はそう言うZ1の笑顔に不気味さを感じたが、それ以上に、そのお守りで心が安らかになるのを感じた。
「あの……ところで、このサービスには、その、神官様とか、そういう方も来て頂けるんでしょうか?」
「ええ、勿論です。私どもは、お客様の希望に合わせて様々な宗教の方をお呼びできますよ」
「そうですか……では、是非、呼んで頂きたいのですが」
「かしこまりました。手配しておきますね。特別効きが良い方を見繕って……いや、お願いしてきますから」
その日のZ1との話はこれでお開きとなった。
彼が何か、不気味だったけど、人に寄り添える、親切な人だったなーとX1は一人洩らす。
その夜、X1はお守りを抱いて寝てみる。すると不安が軽減されてぐっすり眠れたのだった。
今日から、例の308号室の改装工事が丙社によって行われる予定だ。
X1は本業で手いっぱいなので、終わった時に確認するだけで良いと思っていた。
お守りのおかげか今日も目覚めが良く、いつものモーニングルーティーンをこなし、中堅不動産会社に出勤する。
しかしX1は、自分が呑気に仕事をしている間に、こんなことになっているとは、まるで考えてもいなかった。
工事が完了し、X1は現地に向かう。
彼は現在通勤の面から実家に住んでいるが、貸し部屋のある甲物件も行きやすい場所だ。
しかし、X1は工事中は一度も現場を見ていなかった。
以前からリフォーム業者に任せっきりで様子を見なかった彼は、少し無関心だったかもしれない。
しかし、Y1に紹介された業者ということで彼は丙にも信頼を寄せていた。
彼はマスターキーで308号室に入ると、そこには驚きの光景が広がっていた。
壁紙から床材、天井板まで全てピカピカに張り替えられ、部屋の印象が全く変わっていた。
「すげー!! めちゃくちゃ綺麗になってる!!」と思わず声に出してしまう。
壁紙、床材、天井板まで張り替えられ、部屋の印象が全然違う。Z1さんに頼んでよかったと感心するX1。
「おお! このソファいいじゃん! あ! このカーテン! 超素敵! あ、この観葉植物も……うぉ!? これ、何万したんだろ? 高そう!」
あまりに見栄えの良いインテリアの面々に驚きを隠せないX1。
「そうでしょう?」と、どこからかZ1が答える。X1はさらにびっくりした。
彼は隠密技術的に隠れていたソファの陰から、突然に出てきたのだ。
Z1さんは部屋の入り口から見える家具の配置と印象を熟知しており、
ステルス術で姿を隠すことができるほどインテリアデザインの腕利きだった。
Z1さんは全ての家具を風水的に完璧な配置にしていると解説し、X1は感心して、
「へぇ~そうなんですか」と言い、部屋を満喫した。
Z1は「この壁紙の模様は古代の除霊に使われた素晴らしい文様で、リアルタイムでサステイナブルなパーマネントエクソシスをアチーブするんですよー」と説明してくる。
X1は「すっごい。神」と感嘆した。
Z1は「神とも呼べますが、私たちの中では、そのお方の事をこう呼ぶんです。『アバブソウルメイト』と……」と言った。
「へー! カッコイイー!」X1は興奮を隠せない。
Z1は「それで、この椅子に座って頂ければ分かるのですが……」とX1を椅子に座らせた。
X1はその瞬間背筋にゾクッとした悪寒を感じた。
Z1は「分かりますか?」と尋ねた。
X1は「ええ……なんとなく」と答える。
それは、彼にとって今まで感じたことのない感覚だった。
何かが、自分の中に入ってくるような……そうでもないような……なんかただの高価な椅子のような。
でも、心地よい。
「心地よいでしょう」「はい……(うっとり)」「それが『アバブソウルメイト』様が加護と祝福と星刻とスティグマと、あといろいろを与えてくださっている証拠なんですよね……」
Z1天を仰ぎ見つつ説明する。「はい……」X1は心地よさにもう骨抜きだった。
その後も、Z1は内装の色々を説明してくれたりしていつの間にか時間は過ぎ、
工事終了の書類にサインをして、X1はZ1と別れた。
「数日後に請求書を発送しますねーー」と言ってZ1は去っていった。
X1は家に帰り少しした後、急に不安に襲われた。
先程まで居た部屋の魔法陣インテリアの効き目が切れたのだろうか?
「あの内装の効き目はすごかったけど、やっぱりリフォーム代は高くつくのかな……?」
X1はZ1に貰ったお守りを握りしめたが、この不安は中々払拭されなかった。
X1は、翌週も忙しい仕事をこなしていたが、先週の308号室のことも気になっていた。
しかし、その気持ちはどうにもならず、モヤモヤしていた。
そんなある時、Y1さんから電話がかかってきた。仕事終わりの夕方。翌日に休日を控えた日の事だった。
「もしもし? 仲介会社乙のY1です。今よろしいですか?」
「はい、大丈夫ですよ。どうかしました?」
「例のリフォーム工事が終わったので、見に行きました。はい! 見事に除霊されていましたね」
「Y1さんからそう確約頂けて、安心しました……」「いえいえ、こちらこそ。いつもありがとうございます。では、請求書を送りますね」
「はい、よろしくお願いします」
電話を切り、ため息をつくX1。帰ってゆっくり寝ようと考えていたところ、請求書が届いた。
「え? 嘘だろ? こんなにするのか!?」
しかし、請求書に記載されていた金額は1,500万と予想以上に高く、X1は驚愕した。
慌てたX1は、すぐにネットで調べる。すると、すぐにその答えが出てきた。
「リフォーム会社丙、悪徳商法で有名?!!!」
X1は記事を食い入るように読んだ。
そこには、他社でリフォームした部屋に住むと不幸になるなどという噂を流したり、
怪しい宗教グッズを売りつけたりする手口などが書かれていた。
そして、風水的に配置したというインテリアも有名な風水師に見てもらうと、全くのでたらめだったというコメントもあった。
「うわぁ……マジか……全然知らなかった……。でもY1さんの紹介だしなあ。この情報こそ他社が流した悪評ってこともあるよなー」
しかし、高かった分良い部屋になったというのも事実だと考えるX1。
悩んだ末、X1はなんとかゆっくりでも払うことに決めた。数日後、部屋に一本の電話が入った。
「はい。もしm」
「こんにちは、308号室のweb紹介ページの掲載の準備等ができました。お家賃さえお決まりであれば、いつでもお客様をご案内できます。よろしいですか?」
Y1からの電話だった。
「はい……お願いします。……今後も、お世話になります」
そうX1が答えると、Y1さんは元気づけるように励ましてくれた。
「ホッとするのは、早いですよ! ここからが本番です。ちゃんと、お部屋の価値にあった家賃をお決めになって、お客様に喜んでいただけるまで、がんばりましょう!」
X1は「はい!ビシッと自信ある家賃で勝負します!」と元気よく返答し、彼の声援に応える。
電話を切った後、X1は、あのリフォームで自分の人生の何かが変わったのかもしれないと感じた。
Y1さんの助けがなければ、潰れていたかもしれないと思い、今後はいいことが起きると信じることにした。
一ヶ月後、X1は仕事帰りにコンビニでおにぎりを食べていると、Y1さんからのメールを受信した。
メールには、直接会って打ち合わせたい旨が記載されていた。
入居者の紹介かと考えたX1は、億劫と思いながらも時間を作って打ち合わせに参加することにした。
打ち合わせ当日、Y1さんが言うには、あの部屋の契約者が決まらず、空室が六ヶ月も続いていたということだった。
部屋の立地条件が良かったにもかわらず、入居者が現れなかったという。
家賃も相場より高めだったことが、影響しているようだ。
Y1は、「でも、安心してください! 次こそは必ず決まりますよ!」と励ましてくれたが、X1は不安だった。
「はい! ありがとうございます。ですが、……その……」とX1は言い淀む。
「何ですか?」
「支払いが、キツくて、」とX1はそう呟いた。
「あ、そうなんですか? でも大丈夫ですよ! まだ全然間に合いますよ! さっきも言いましたが、次こそ絶対に決まりますから! 次は絶対! ですから、焦らずいきましょう! それとも、家賃を下げて再募集しますか? 具体的には20万円円位まで」
Y1は提案してくる。
「い、いえ! それはダメです! 家賃を下げると俺の返済プランが破綻します。それに、私の所は、おっしゃる通り立地条件も良いですし、お風呂もトイレも不浄が溜まりやすい、とかで『オーバーナチュラル・ラバトリー・十字教会仕様』とかいう最新式にしたんですよ? ですので、今の値段設定のままでお得の筈なんです」とX1は説明した。
「うーん。そうですね。確かにお部屋の設備は充実しています。やはり家具付き物件としての良さをもっとアピールしていきましょう。自信を持って! やっぱり、X1さんの御建てになったこの建物を、私も大事にしていきたいです! 安売りなんかすべきではありません」とY1は言った。
「そう……ですよね……そう、そうに決まってる。決まってるんだ。はい……」
X1はうなずいた。
Y1は甘い香りをさせながら、元気を出して! と俺を励ましてから帰っていったが、
X1の頭の中にはその言葉がうまく響かなかった。
そう。X1は既に、霊障というものが本当に存在するのか疑問に思い始めた。
Y1が勧めた除霊の費用は本当に必要だったのか?
Y1はほとんど実質除霊グッズの販売業者みたいな奴を連れてきたけど、
全然Y1が部屋の除霊効果を売り文句にしないのは、自分で嘘だと思っているからではないかと疑った。
リフォーム費用はあんなに高額だったのに、仲介会社乙のウェブページのウチの欄にはそんな内容どこにも書いてなかった。、
X1はネットの情報が嘘じゃなかったと気付いた。丙社は詐欺会社で、Z1は詐欺師だ。
言うなれば、ミステリアス渋い系ゆるふわイケメン詐欺師だ。
そして、Y1は男を誑かすギャンかわ少年系長身イケメン詐欺師だ。
X1は見積書と請求書の内容にも結局納得できなかった。
壁紙や床板は個人情報を悪用されそうな感じのネット通販で、爆安価格で売られている。
トイレは無駄に遠い国から輸入していて、意味が分からなかった。
ただ、最新の低周波マッサージ機能がついたソファには癒された。
X1はぼったくられたと思い、Y1さんが騙されている可能性もあると考え始める。
Y1を通じて、Z1に見積書と請求書の詐欺額面を突きつけてやるつもりだった。
「ということで、先方には昨日連絡させていただいたのですが……」
そんな中、受話器から聞こえてくるのは、いつもと違う覇気のないY1の声だった。
「あちらは何と?」X1はそれに構わず訊く。
「請求内容に間違いはないと。あと、支払いが延びるようなら、事前に知らせてくださいね。とのことです。勝手に支払いを打ち切ったら法的手段も考えるとも言ってます」
「Y1さん……もしかして、俺が支払いが滞りそうなことを、告げ口しましたね?!」
「いやいや、滅相もありません、そんなことは致しませんよ。いやあ、大層察しの良い方ですね、Z1さんは」
X1は息が切れてきていた。こんな風な言葉遣いでY1に詰め寄ったことなどかつてなかった。
なのに、今はこうして攻撃的な言動をしていい相手として彼を見ている自分が、何か情けなく感じた。
「いえ……もう結構です。俺の思い違いでした。すみませんでした。俺もまだまだ勉強不足のようです……」
「X1さんはお疲れに聞こえます。どうかご自愛ください。どんな仕事も体が資本、ですからね。よく内臓から悪くなるといいます。そんなことになったら、私、仕事が手につかなくなってしまうかも……いえ! 今のは忘れて……ください。では、失礼し……」
途中から電話の音が聞こえづらくなって、X1は息ができなくなってしまった。
内臓? 自分の内臓が今の話と何の関係があるのか不安になる。
自分のモツをどうするつもりなのか、支払いを完遂しなければ自分は彼に殺されてしまうのではないかとX1は恐怖に襲われるのだった。
六ヶ月後
X1は絶望感に襲われていた。借金は減らず、賃貸収入で生涯を全うする計画は失敗した。
家賃も値下げした、保証人も不要。敷金礼金だって、先月無しでいいと彼はY1に連絡していた。
いったい何が悪かったのか。彼は希死念慮という名の孤独感と絶望の波に襲われていた。
さらに、仲介会社のY1が最も怖い存在となってしまった。
しかし、相談できる相手は彼しかいない。
真っ暗になった視界から飛び起き、時間に構わず必死に電話をかけると、Y1が出た。
「はい、Y1です」
「あ、あの……俺、俺です」
「ああ、X1さんですか」
「俺、あの、お金が無くて」
「ええ。そうだと思っていましたよ。それで、とっておきの臓器販売ルートがあるんですが、紹介しま消化(内臓だけに)?」
突然、X1は夢から覚めた。昨日帰ってきた時のスーツのまま寝ていたのだ。のどが渇いた。水を飲もうとすると、
「うぐっ」
突然吐き気が襲ってきた。トイレに駆け込み、胃液が逆流して苦しい。
苦しみながら、彼は考えた。自分は、夢の中で内臓を売ることになっていたのだろうか?
「はっ……」
X1は気を取り直すと、仕事に行かなければと思った。彼が唯一信頼し、尊敬していたY1に今日も電話するべきかと考える。
しかし、丙のZ1は許せない。もし、二人が共犯だったら?
彼の憎たらしい面の皮を剥がしてやると決意を新たにして、業者評価サイトの丙社用コメント欄にX1は荒らしを投稿し始めた。
『あのZ1とかいう奴はホモ……』『丙のリフォームセンスは激熱みんなもやろう!!』『丙の客間ってなんか臭くね?』『あのZ1とかいう社員実はヅラなんだって。』と彼は一心不乱に書き込んだ。
「ふう。今日も正義の活動をしたな……」
お昼休憩の合間、X1はY1さんに迷惑電話をかけた。「Y1さーん。今日もお綺麗ですね! 電話ですけど!!」
「今日はお元気そうですね。よかったです。今日のレートはですね? 私が先方にX1さんの詳細な健康状態をお伝えした結果、引き出せた最高価格なんですよ! 新記録です。まずはですね? 目玉が両目で15万円。肝臓はちょっと高くなって1,200万円です。あと、おすすめなのは腎臓なんですけど……ふふふっ、これが驚きの1,500万円なんです。今がチャンスです! これでリフォーム費用全部払っちゃいましょう!」
「やったーY1さん大好き。愛してる! チュッッチュッ!」
X1は愛情いっぱいに投げキッスをする。
「チュッッチュッ! では、さっそく以前ご連絡した○○倉庫という場所に……」
ガチャン! X1は受話器を思わず叩きつけてしまう。
X1は何かの聞き間違いだと感じた。あり得ないことだ。気分転換に再度正義の活動をすることに決め、気持ちを切り替えるべきだった。
「Z1に体を触られた……セクハラ野郎。書き込み。丙は詐欺の温床。悪の組織は正義の炎によって浄化されなければならない。火炎瓶持って○○日の○○時に○○公園へ集合! 書き込み。っと……ん? 被害者の会? そんなものがあるのか」
「被害者の会、次の会合の詳細求む!! 書き込み。乙不動産と丙社の奴らを許すな! 書き込み。乙不動産と丙社のせいで俺のローンは延滞中だ! 書き込み。俺も丙に騙された! 書き込み」
X1は一晩中書き込みをして元気が続いた。意識を保ちながら仕事に行くが、休日で誰もいないことに気づく。
彼は暇を感じるや否や、正義の執行を始めようとする。
すると、以前の自分の書き込みの回答に、被害者の会の会合が今日であるとの書き込みがされていた。
「ここから会場近いじゃん!」と気づいたX1はすぐに会場へ向かうことに決めた。
公民館のような場所で行われる会合に到着したX1は、門を叩いて自分の目的を明らかにした。
「すみません。乙不動産と丙社について、教えてください!」
最初に話しかけてきたのは、D1という顔のむつかしいお兄さんだった。彼は被害を受けたばかりのようで、疲れた顔をしていた。
「君の怒りは良くわかるよ。私もそう思って、ここに来たんだ。この前、私の家もやられた。業者の態度が急変してね……見積書の金額と、請求書の金額の乖離が凄まじいんだ」
「なんですか、それ! ひどすぎますね!」とX1は同感した。
「うん……それでね。このサイトを見つけたんだよ」とD1はウェブページを見せてくれた。それは、X1がさっきまで書き込みをしていたレビューサイトだった。
「なるほど……貴方もここから……」とX1は言うと、D1が「どうだい? 一緒に戦わないか?」と手を差し出す。
「もちろんです! 俺も、あいつらが許せない! でも、どうやって戦うんですか?」X1はD1の手を取りつつ尋ねた。
「ふふふ……それは、今から説明するよ。まずは、これを見てくれ」D1はX1に数枚の書類を渡した。
「これは、私が丙社から受けた被害の記録なんだ」
書類には、不当な契約や請求、嫌がらせや暴力など、丙社の悪行が書き連ねられていた。
「なるほど……それで、これから何をするんですか?」X1は書類を目で追った。
「簡単さ。証拠を集めて、丙社を訴えようと思う」D1は堂々と言った。
「えっ? そんなことできるんですか?」X1は信じられない顔をした。
「ああ。できるとも。我々は、そのための対抗組織だ!」
D1は自信満々だった。
「すごい……! 訴えましょう! すぐに!!」X1は熱くなる。
「うん……ただ、その前に証拠集めをしないといけない」
D1は冷静に言い、歩みを進める。
「えっ? どういうことです? すぐにヤツラを潰せないんですか?」
X1は戸惑った。
「いや、やるからには徹底的に。が我々の信条だ。つまりね……君にも手伝って欲しいんだ」
D1はX1の目を見つめる。その瞳には確かに、混じりけのない決意が見える。
「……はい! 喜んで!」X1はその目を見て即答した。
「まあ、その前に。メンバーの紹介をしよう。ここにいるのは、皆『悪の敵』だ」
D1はX1を連れて、会場の中に入っていった。
X1はD1に連れられて、会のメンバーと顔合わせをした。全員男性だった。
今いるのが全員ではないらしいが、全部集めても十人程らしい。
少々人数的に頼りない感じもしたが、彼らの目に灯る、丙社に対する憎悪と憤怒の炎は本物だった。
ただ、意外だったのが、乙不動産の名前は全く出てこない。
名前を出しても彼らはピンと来ていないようで、乙不動産を知っているメンバーも、
「迷惑なリフォーム会社の被害に巻き込まれこそすれ、乙が丙と組んでいる、なんて話は聞かないな。むしろ、彼らも被害者だという印象すらあるよ」と言い、
X1に「気になるなら、彼女に聞けばいい」と詳しい人を教えてくれた。
どうやらその人は今日は来ていないが、次の会合には参加する予定だという。
X1はそのD6という被害者の会唯一の女性と話をすることに決めた。
X1はその日の夕方、Y1に電話で「俺、丙社の不当な請求には、応じませんから」と宣言した。
「それは……なぜ?」Y1は終業時間が近いせいか、落ち込んだ声で尋ねた。
「俺は戦うことに決めたんです。丙と、そして貴方と。俺は俺を騙したアンタたちを許さない」
「お強いのですね……、X1さんは。ですが、丙は手強いですよ。覚悟は出来てますか?」
「覚悟は……まだわからない。でも、俺には仲間がいる。だから、きっと……」
「それでは、まだ足りません。X1さんは強いけれど、考え無しです。ですが、期待していますよ? もしかしたら、あなたがこのスパイラルを止めるのかもしれない。だから、次にお会いするとき、私は真実を話します。では、失礼しますね? 私の愛しいお客様」
電話が切れた。Y1が何を言いたかったのか、X1にはわからなかった。
その答えは、次に彼に会うときに明らかになるのかもしれない。
次の会合も仕事がない日だった。今日はD6さんという女性が来るということだった。
「やあ、こんにちは。今日はよろしくね」とD1が挨拶をする。
「はい。こちらこそ」とX1が返答すると、背の高い凛々しい女性が恥ずかしそうに後ろで立っていた。
「あの、そちらの方が、」とX1が言うと、D1が説明する。「そうです。彼女が会の紅一点。D6さんです」
「初めまして。D6です。よろしくお願いします」と女性が自己紹介する。
X1はその女性に目を奪われた。
すらっとしていて、後頭部で髪が纏められている。飾り気がなく、服が黒一色なのが、勿体ない。
明るめの髪色と相まって似合ってはいるけど、もっと色とりどりの服を着てほしいと、
X1は初対面なのに心を許してしまっていた。
「D6さんは、乙不動産のことをよくご存じなんだよ」とD1が話を進めてくれる。
「ええ、私、そこの社員ですので……」
「ええ?!」X1は予想可能なことだったはずなのに、殊更驚いてしまう。
「あっ……あそこの人事って、その、すごく面食い……なんですかね……ああ失礼、なことを、すみません」
「いいえ……謝らないで、ください。悪気がある発言でないのは解ります。それに、その、営業は外見も期待されるので、ある程度は事実ですし……」
「すみません……」X1は恐縮した。
「おふたりとも、いい雰囲気だね。外野は、ちょっと外そうかな?」
D1が笑顔で言った。
「はい、D1さん。落ち着いて、話したいので」
それにD6が真剣な面持ちで答える。
「そういうことなら。しばらくしたら、戻りましょうかね」
D1さんは無駄にダンディな振る舞いで帽子を被り、さっそうと去っていく。
「では、X1さん。始めましょうか」
「はい。D6さん」二人対面で椅子に腰を下ろす。
「X1さんは、私が憎き乙不動産の社員だと知っても、何も聞かなかったですよね? どうしてですか?」
「えっと……それは……なんとなく、ですよ」X1は言葉に詰まった。「D6さんが悪い人じゃないって感じましたから」
「ふふっ。そんな風に、言ってくれるんですね」D6はいたずらっぽく笑った。
「私は、X1さんはもっと冷たい人なのかと思っていました。ここに来る人は、私を含めて連中に心の温度を奪われた人達ですから」
「はは……酷いですね」X1は苦笑する。
「でも、冷たいというのは事実でしょう。これから一企業と戦おうという話なんですから」
「ええ。X1さんと私達ならきっと勝てます。そして、貴方が勝った時、私の心も癒される」
D6は目を伏せながら、そう言い切った。
「D6さん……あなたも……」
「X1さん、私は丙に、二回も大切な尊厳を売り渡しました。結局、憎しみを抱きながらも、権威というものに抗えなかったんです」
D6は苦い顔で言った。
「もちろん私の自己責任で因果応報ですが、私は怠惰にもその責任を丙に求めてやまない。私はそんな人間です。それでも、私と一緒に戦ってくれますか?」
「俺も、自分の不注意でこんなことになりました。そして、大切な何かを壊してしまった。でも、俺は丙をこのままにしておけない。だから、D6さんがいて、俺、今とても心強いんです!」
X1は、あのゴミ屋敷問題の最中にY1に対して感じた暖かい気持ちを思い出していた。
当時、X1は308号室で問題が起こった時に、Y1が自分の不安に共感してくれたことに戸惑ったのを思い出す。
「俺は、Y1さんの恩にまだ、何も報いていないのに、もう俺は、あの人と笑顔で話せない……」
彼は思わず、その思いを口に出していた。
「X1さん……」D6が困っているのを感じる。すぐに泣き止まなくては。
「えっ……」X1はその時になって、自分が涙ぐんでいることに気が付いた。
――泣く子とX1さんには勝てませんね。大丈夫です。こうなったのは、私の責任ですから。私が何とかします――
お先真っ暗の闇の中。初めての真の絶望の中で、あの言葉を聞いた時、X1はあの人を信頼しようと、そう思ったのだ。
「泣かないで……X1さん。まったく、あなたには敵いませんね。大丈夫――さんが一緒ですよ」
「……?!」
泣きはらした視界が歪み、目の前のD6が別の誰かとダブって見える。でも、それは一瞬で、涙を渡されたハンカチで拭うと、そこには優しい笑みを湛えたD6が座っていた。
「あ……ありがとう、ございます。あ、これ、ハンカチ、洗って、返しますから」
X1は感謝の気持ちを込めて、ハンカチを返すつもりでいたが、D6は
「持っておいてください。丙に勝ったら、その時、返してくださいね」と言ってくれた。
その湿ったハンカチからは、あのラベンダーの香りがしていた。
「……ってことで、乙不動産を相手取って裁判を起こそうと、思っています」
D6は決意を込めて言う。
「……うん」D1も戻ってきていた。「そういうことだ」
「そこで、X1さんにお願いがあるんです」D6はX1に向かって真剣に乞う。
「はい」
「丙社の社長であるZ2を引きずり出して、詐欺で訴えようと思います」D6は衝撃的なことを言った。
「なっ……なっ……」「X1さん、大丈夫ですか?」
D1は心配そうにX1の様子を窺う。X1は、当初の目的を思い出した。
「……ああ、すみません」X1は慌てて落ち着こうとした。「ちょっと、改めて聞くと大事っぽくて……」
「ふふふ、無理もないですね。でも、X1さんも一緒ならきっと勝てます」
「D6さん……」X1は彼女の信頼を強く感じる。
「さあ、これから忙しくなりますよ!」D6は元気に言った。「X1さん!」
「ええ!」
X1は力強く答えた。
それから、X1と被害者の会は、丙社に騙されたリフォーム工事を無効にするため、裁判を起こすことにした。
D6がこの件に途轍もないやる気を出し、これまでに準備してきた問題より遥かに早く解決の目途が付いたからだった。
まずは、丙社にリフォーム工事の無効を訴えるため、工事関連資料(工事報告書+実行予算等)を手に入れる必要があったが、これは、D1さんが手に入れてくれた。
次に、裁判所に書類を提出する必要があった。
これには、D1さんたちの協力を得ながら、D6が乙不動産の社員として動いてくれた。
しかし、丙社も手をこまねいているわけではなかった。ある日、X1にD6から電話がかかってきた。
「X1さん、丙が私達のことを嗅ぎつけました。私は一旦動けません」
「D6さん、何があったんですか?」
「丙社のZ1が私のことを脅してきました」「そんな……D6さん、大丈夫なんですか?!」
「大丈夫です。それに、これはチャンスかもしれません。丙社の悪行を暴く良い機会です。なので、私は一度動きを止めて、Z1の脅しに屈しかけているかのように偽装しZ1の油断を誘います。その間に、X1さんにはZ2を引っ張り出していただきたいのです」
「わかりました……でも、どうやって……?」
「X1さん、耳を近づけてください」「はい……ええ! そんなことで?!!!」
「はい! これで行けます。私を信じて!」
「わ、わかりました!!!」
「じゃあ、私は一旦引っ込みます。後はよろしくお願いしますね!」
「はい!」
「……どうしたの?」
「いや、何でもないですよ」
電話を切った後、D1さんが不思議そうな顔をしているが、X1はD6の立てたこの作戦が、どうしても理解できなかった。
『Z2に直接電話をしてください。名乗ればきっと、貴方の事をZ2は覚えています』
そして、ついに彼らの裁判が始まった。
しかし、実際に行われたのはほとんど書類のやり取りだった。
丙からは、正式な手続きの上で事前の了承もあっての工事だったと反論書面が送られてきた。
彼らの反論内容はこうだ。高価なリフォームを行ったのは、事前に行われた仲介会社乙のY1から提供された霊感商法の内容が根拠だった。しかし、実際には霊能者による監査が行われたという証拠は乙から一切出てこなかった。というもの。
裁判中のほとんどが、この二つの主張を深堀する内容に終始した。
そして転機となったのは、途中で発見された、既に病で死亡している、Y1という人物の音声記録による告発だった。
丙は独自の臓器売買ルートを持っていたということが明らかになり、警察と被害者の会の二正面戦争を余儀なくされ、あえなく対被害者の会側向けの正当化論拠が瓦解するのだった。
はい、裁判終了 お疲れさまでした。
数日後、X1は、D6に誘われて、彼女の家に来ていた。X1は、彼女に何か感謝の気持ちを伝えたかった。
「D6さん……あの……僕、D6さんのこと……何か勝手にY1さんみたいで親しみやすいなって思って……最初から馴れ馴れしかったですよね」
「ふふっ、間違っていませんよ? X1さん。私がY1ですから」
「ええ?!……そうだったんですか?!」
「ええ」X1は驚いた。
Y1は、裁判の後半で重要な役割を果たした。
だが、彼は病死したのではなかったのか。しかし、目の前の彼女は、自分が正真正銘のY1だという。
「……ふう。Y1さん、死んでなくてよかった。あ、じゃああの死んだY1さんは?」
「私の弟ですよ。X1さん」
「あっ、はい……そう、だったんですね。お悔やみ申し上げま……す?」
「ご丁寧にありがとうございます」D6は笑顔で答えた。X1は、彼女の表情に嘘がないことを感じた。
「それで、何があったんですか?」「提出した証拠そのままですよ。病死です」
「で、ええと、DY16さん」
「もしかして……私のことですか?」「だ、だめですか!」「だめです……」
D6の家は一軒家で一人暮らしにしてはかなり大きい。部屋数も多そうだ。
「じゃあ、YD61さんで」「結構しつこいですね」「いやあ、なんてお呼びすればいいか分からなくて」
X1がそういうと彼女は少し首を傾げた後、「なら、次会う日までに、考えておきますね」と囁いた。
「では、ちょっと長居してしまいましたね。ここ、広いのでご家族と一緒にお住まいなんでしょう? そろそろ……」X1がそう言って帰ろうとしたとき、
「誰も帰っては来ません」と彼女が言った。「あ……そ、すみません」X1は驚いて謝った。
「そうではなくて、……ずいぶん前から、私以外は帰ってきません。弟はずっと入院生活だったので……」
彼女は悲しそうに言った。X1は、何と言えばいいか分からなかった。
「なので、私には広すぎるこの家を引き払おうと思います。土地は、どうしましょうね。これから考えます」
彼女は淡々と言った。
X1は、それを言葉に出来るならどんなにいいかと思った。でも、X1は救われるばかりの甲斐性無しだった。
だから、言えなかった。
だから、X1には、彼女が癒せなかった。
「では、また。X1さん?」
D6は微笑んで言った。
X1も、また会えるかなと。そんな気持ちを込めて、
「また、どこかで。DYYD6116さん」
「……」彼女が黙る。それは別れの悲しみを堪えている様にも、ただ単純に怒っているようにも見えた。
そして、彼女の叫び声が、X1の身体を貫き渡る。
「……私は……そんな名前じゃ、無い!!!!!!!!!」
「ぎゃーーーー!!!」
X1は驚きから立ち直るが、彼女の姿はもう扉の向こうに消えていくところだった。
そうして、その日は帰る。そういえば、X1はDYYD6116さんに大切なことを訊き忘れたことに気づいた。
エピソード1 エピローグ
一か月後。例の308号室に新しい入居者が決まった。乙を挟まない。直接契約。
308号室は過激な装飾な部屋で、借りてくれる人がまずいない。
その弱みに付け込まれ、借主の特殊条件をX1がしぶしぶ飲んだその日からの即入居だった。
皮肉にもそこに、Z1が家具付き部屋に魔改造した効果が表れていた。
ともかく、X1にとってはあの異常な部屋を気に入ったその入居者というのが厄介で。
彼の部屋にその入居者が居座っている。……のではなく、彼が借主の部屋に居座らされている。強制的に。
「大家さんなら、合鍵持ってるでしょ?」というのが、借主本人の言だ。この人物はそう言ってX1を部屋に引きずり込んでいた。
「ねえ、DYYD6116さん……」「私を呼ぶときは、Y1さんでって言いましたよね」「えっと、それは弟さんの名前で、というか男性ぽいじゃないですか! 響きが!」「えー?」
彼はどうしても、名前にYが入っていると、その名前を男らしく感じてしまう。
彼も、Y1という名前がこの凛々しい人物に似合わないとするつもりはなかった。が、当然、別の名前がいいとX1は主張しようとした。
が、その前に「じゃあ、男の恰好の方がイイ?」と、凛々しいY1のキメ顔が視界に飛び込んでくる。
なのでX1は諦めついでに「はい……Y1さんは男です。って結局男ですか? 女ですか?」と、訊き忘れたことを今きいてみる。
「さあて、どっちでしょう。私は基本、真実を話しませんからねぇ」
そう彼女は謎めきつつ笑う。X1は、彼女が何を企んでいるのか分からなかった。
「うぐぐ。とにかく、こんな半同棲みたいの嫌なんですけど!!」X1が憤慨してみても、Y1は飄々としたものだった。
「そう言われましても、契約書に、『甲は乙の住居に、環境改善のため力を尽くすこと』って書いてありますからねー」
「それが今俺がここから帰れないことの根拠か!!」
「しかも、『乙はそんな甲斐甲斐しく通う甲に誠心誠意尽くすこと』とも書いてあります」
「……何? そんなこと、書いてあったか?」X1はペラペラと契約書をめくる。
「駄目ですね。契約書はちゃんと読まなきゃ。やっぱり私が付いてないと、X1さんはダメダメなんですから。だから、悪徳商法に騙されちゃうんですよ? わかってます?」
わざと煽るような言い回しをするY1に、X1は振り回されっぱなしだ。
「そんなボロボロに言わなくても……って書いてないじゃないですか!!」
X1が契約書を広げて見せるが、Y1は知らぬ振り。
「さあて、私は中々真実を話しませんからね」「うごご……」
「なので、今後ともよろしくお願いしますね。私の大事な大家さん。そして愛しいお客様?」
「うわ、こいつどうやってまた乙で俺の担当に?」色々と謎が残るが、X1は最早それ所ではない。
「なんも、かんも分かんない! うう……なんなんだよ! この女はーーー!!!!!!!!」
「やっぱりわかってるじゃないですか。ねえ?」X1の魂の叫びに紛れてボソッと呟くY1。
その時のまんざらでもなさそうな彼女の顔が、X1には一番嘘っぽく見えていた。
X1の苛烈な日常は、これからも続きそうだった。